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別にテレビがつぶやいているわけじゃありません。ぼくがテレビを見てつぶやきました。
バラエティはほとんど見なくなったけど、佳境に入ったスポーツやドラマ、ドキュメンタリー、ニュースは連日見ごたえのある番組が多く、時間がないのについつい見入ってしまう。
トレンディ・ドラマには疎いけど、定番のNHKは朝ドラ「つばさ」をはじめ、再放送も含め全3作を連続放送してくれた「ドラマスペシャル・白洲次郎」、「再生の町」、敬老の日に全4作を一挙放映した「こんにちは、母さん」、TBSからは「官僚たちの夏」、これらはみんな終わってしまった。
それぞれ楽しんで見れた。
もちろん「天地人」も見てしまうが、今年の大河は11月で終了だから、もう佳境に入っている感じ。きょうで兼続(妻夫木聡)の盟友石田三成(小栗旬)も死んでしまうし。
その「天地人」のテーマ音楽を作曲した大島ミチルさんをゲストに迎えた、9月20日の「アニメギガ」もおもしろかった。考えたら、大河ドラマの作曲家で女性は、大島さんが初めてなのでは?
NHKと言えば、去年放送されたNHKスペシャル「激流中国病人大行列〜13億人の医療〜」が、世界で最も古く権威のあるテレビ・ラジオの国際コンクール「イタリア賞」、その「テレビドキュメンタリー」部門の最優秀賞を受賞した。(きょうNHKは速報していた)
この番組は、フランスやドイツ、モナコで開催された3つの国際コンクールでも、最優秀賞を受賞している。
NHKは少し前にも「核戦争後の地球」や「映像詩 里山」でイタリア賞を受賞しているから、もう群を抜いて秀作を作り続けていることになる。
NHKとしては本音は、きょうの夜のNHKスペシャルで差し替え放送したいところだけど、「シリーズ ONの時代」ははずせないだろうな。(ONは王と長島)
ONと言えば、巨人の黄金期、V9時代の象徴。
そのV9戦士の一人、土井正三氏が25日、膵臓(すいぞう)がんのため67歳で死去した。
晩年に車椅子で球場に現れた土井氏の映像を見て、「あのスマートな土井さんが…」と往年を知っているぼくには、少なからずショックを受けた。
今になってメディアはこぞって、土井氏とメジャーリーグで活躍中のイチローは、じつは不仲ではなかったと報じている。
1991年のドラフト会議でオリックスから4位指名されてプロ入りしたイチローは、土井監督時代の最初の2年間、1軍と2軍を何度も往復した。
ホームランを打ったその日に、土井監督から二軍落ちを通告されたイチローは、泣きながら「落とさないでください」と直談判したという記事を掲載した新聞もあった。
土井氏はそのことについて、こう明かしている。
「俺だってイチローの素質を見抜いていて、モノになれば10年は1番打者に困らないと思っていた。ただ外野は高橋智、タイゲイニー、藤井とそろっていて使うところがなかった。
あの年(93年)で監督を辞めるつもりはなかったから、次の年のことを考え、2軍で試合に出て経験を積んでこいと言って落とした。
泣きながら言いに来たのはイチローが初めてで、これはいい選手になると思った」
しかし土井氏はその年限りでオリックス監督を解任され、イチローは翌94年に仰木監督の下で、210安打を打ち大ブレークした。
土井氏はオリックス退団後も、毎年オールスターのファン投票の時期には、イチローに入れていた。00年に「20世紀ベストナイン」という企画があった時にも、イチローに投票した。
だがやはり、V9時代にはONへつなぐ犠打の名人、いぶし銀だった土井氏と、今では懐かしい振り子打法と、初球から積極的に打ちに行くプレイスタイルのイチローとでは、打者としての美学が違っていたのは明白。
土井氏がのちに「イチローは俺が育てた。」と発言し、イチローがそれを知って、「河村さんに無礼だ!」と怒ったことがある。
イチローのいう「河村さん」とは、イチローが2軍にいた当時の打撃コーチ河村健一郎氏のこと。
フォームの変更を強要する土井氏ら首脳陣に対して、「イチローはこの振り子打法で結果を出しているのに、なぜ変えなければならないんだ?」と真っ向から反論し、イチローを全面擁護した人。
「トータルが大事なんだから、今日打てた、打てなかったで一喜一憂するなということです。一喜一憂して、またフォームを変える。これが、コーチとして一番やっちゃいけないことです。だから反対にイチローとやってきたのは「調子のいい時、いい結果の出た時にしっかり練習しておこう」ということでした」(P.32)
「とにかくスポーツというのはタイミングなんです。タイミングさえ合っていたら、何とかなるんです。それが合っていれば、あとは筋力アップしかないわけです」(P.39)
「イチローの本当の凄さは何かって言ったら、一日一日、ブレが少ない、ということだと思うんですね。考え方のブレも少ないし、コンディションのブレも少ない。それは自分自身をコントロールしているからです。それが凄いんです。......
特別な練習をするのは、調子がよくて、結果もいい時だけ。......スランプというのは、肉体的な問題より、そういう迷いに入ってしまうことの方が、原因としては大きい」(P.49)
『イチローは「天才」ではない』(小川勝 角川書店 2002年)より、河村健一郎・元オリックス2軍打撃コーチの言葉。
連日、NHK−BSの大リーグ中継は、まるでイチロー祭りだった。
イチローのメジャー9年連続200本安打達成を、カウントダウンのように放送していた。
やはり偉人の陰には、すばらしい先生がいるものなのかもしれない。河村コーチこそが、イチローを育てた人物であり、イチローの恩人だと言えるのではないか。
とイチローを賛辞していたら、きのう(26日)のブルージェイズ戦では、球審の判定に対して激しく抗議して、メジャー9年目で初の退場処分を受けていた。
日本のプロ野球も盛り上がっている。
クライマックスに出場できる3位争いが、両リーグとも熾烈だからだ。
かたや千葉ロッテ・マリーンズ。ボビー・マジック、井口の加入、島田紳助さんがランビンとバーナムの2外国人選手を「ダメ外人」と言ったりして、開幕時には話題になっていたが、今やペナントレースでは完全に蚊帳の外。
ある時期から話題は、次期監督やフロントお家騒動など、ありがたくない話題を提供するようになった。
応援ではどこにも負けない熱いマリーンズファンは、フラストレーションが溜まり暴走気味。
きのうのオリックス戦。西岡剛内野手(25)が心ないファンに異例の訴えをした。1回に球団新記録となる今季7本目の先頭打者弾を放って、勝利のお立ち台に立ったときのこと。
インタビューを受ける前から、西岡の表情はこわばっていた。きっと、何かの決意があったのだろう。
そしてインタビューの途中(3分25秒から)、急にマイクを奪うと、お立ち台から下りてライトスタンドに向き直り、試合中にフロント批判の横断幕を掲げていた一部ファンに対して、時折声を詰まらせながら、西岡はプレーに集中したい正直な気持ちを吐露した。
「僕自身もそうなんですけど、選手も一生懸命プレーしょうとしているし、ロッテに入って、ファンの応援を見て、このチームが好きになりました。でもライトスタンドを見て、ほんとに批判があったり、いろんな横断幕が出たり…。ぼくらもそんな状況にさしてしまったり、選手にも責任はあるんですけど。
きょうも野球少年がいっぱい来ていると思います。
選手一人一人のプレーを見て、夢をいだく子供たちも来てると思うし、スタンドの歓声を聞いて、大人になったら、こういうところでプレーしょうと思って、がんばっている子たちも多いと思います。
この子たちの夢をつぶさないでください。
僕自身も、今年こういう成績で言える立場じゃないけど、1人の人間として間違っているものがあると思います。
選手一人一人も考え直して、このチームをもう一回強くしたいと思うし、本当にロッテを愛しているんなら、明日から横断幕を下げてほしいんで、あしたから応援をよろしくお願いします」
異例の演説に早変わりスタンドから拍手が起こり、涙ぐむファンの姿もあった。
横断幕には球団幹部の批判の他に、「死刑」と書かれているのもあった。
じつは西岡は、今年のWBCの代表を外されてすごく悔しい思いをしていた。前回の2006年には代表の主力メンバーだっただけに。
そんな時、親のいない施設の子供たちの慰問に行った。
親の愛情を受けてない子供たちは、ダッコのされ方もわからなくて、抱き上げても身体をこわばらせる。
こんな現実にショックを受けた西岡は、
「この子たちに比べたら、俺のWBC落選の悩みなんか小さい」
WBCへの思いを吹っ切り、その後もその施設の子供たちとの交流を続けている。
施設の子たちも、野球を知らなかったのに、西岡を熱心に応援するようになった。
西岡の訴えは、3分25秒から。(時々、映像は止まるけど)
http://www.youtube.com/watch?v=xKi1yBNi_iw
大相撲、横綱朝青龍が強い、強い!
初日から無傷の14連勝。場所前の引退説を一蹴。
それでも観戦した横綱審議委員会(横審)の内館牧子委員は、
「全勝しても横綱としては二流、三流」と酷評。
恐るべしウッチー、青が調子がよいほど機嫌が悪く、鬼瓦顔が赤鬼になってきた?
ぼくは貴乃花部屋の平成2年生まれのモンゴルの若武者、貴ノ岩(序二段92枚目)を応援し続けている。
勝ち越し!四勝二敗だ。
ぼくは歌番組は見ない。アイドルもぜんぜん知らない。
しかし日本テレビ(以下日テレ)の「スター誕生」という、お化け番組があったのはリアルで知っている。
じつはこの番組は、かつて日本の芸能界の歴史を変えた革命的な歌番組。
ピンク・レディーを筆頭に、山口百恵、桜田淳子、森昌子、中森明菜、石野真子、小泉今日子…。
1970年代初頭の芸能界は、今で言うバーニング、ジャニーズ、吉本興業を束にしたような「渡辺プロダクション」(以下ナベプロ)が、巨大な「帝国」として君臨していた。
その勢力は、NHKの紅白歌合戦はナベプロのタレントがいなければ成立しない、といわれていたほど。
このナベプロが日テレに対しへそを曲げ、今後ナベプロのタレントは一切日テレには出演しない、という事態が起きた。
もう日テレでは歌番組は作れないだろうと言われていた矢先、当時の日テレ音楽プロデューサーは、「ならば、自分たちで新しいタレントを育成してスターを生み出そう」と決意した。
作詞家の阿久悠氏と手を組み、「どうせやるなら日本一のスター誕生番組にしょう」
こうして1971年10月3日にスタートしたのが「スター誕生」。
この番組で係わったマネージャーたちが独立し、ホリプロダクション、サンミュージック、田辺エージェンシー、バーニングプロ、芸映プロ、研音が生まれた。
本田美奈子、柳葉敏郎、徳永英明は「スター誕生」の本選で失格となっているし、松田聖子は一次審査で不合格、河合奈保子は書類選考の段階で選外、古手川裕子は何度も応募したが予選会の通知が一度もこず、田中美佐子にいたっては応募したが返ってきたのは公開録画の観覧案内だった…。
気骨溢れるテレビ屋時代の話。
相手が巨大であればあるほど、燃えるのが人。
「スターはテレビ局の俺たちが作る」
その時、歴史は動いた?
今やどのテレビ局も赤字でヒーヒー。
だって代理店にスポンサー集めは任せ、制作は下請けと大手プロダクションまかせ。
そんなテレビにまったく無縁の浅草芸人。
先日、十日町吉田地区の人たちと、飲んだ話はしたが、ボランティアでとんでもない大物芸人が鉢に行くかもしれない。
気骨はここでも見られるか。
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