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あらかわバイロイト 田辺ヴォータンの背後に炎を見た

 投稿者:タクト  投稿日:2009年10月18日(日)05時47分39秒
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  きのう(17日)は、田辺とおるさんが公演監督をやっているワーグナー音楽祭「あらかわバイロイト」の特別演奏会を聴きに、サンパール荒川大ホールへ自転車を走らせた。
ほんとうは12日もキャストを変えて公演があって、こちらは池田香織さんがヴィーナス役で歌われるのでぜひ行きたかったのだけど、ちょうどその日は寄席と川辺祭りのWヘッダー出番だったので、12日は泣く泣くあきらめた。
さてきのうの公演、わざわざドイツ・バイロイトに行かなくても、租借されたワーグナーのアプローチは、観客であるわれわれを見事に地球の裏側で「バイロイト音楽祭」を体現させてくれた。
やはりそれは30年に及ぶドイツのオペラハウスでのキャリアを誇るベテラン・マエストロのクリスティアン・ハンマー氏と、ドイツでずっと歌われていた田辺とおるさんの牽引が大きいのだけど、演奏者と歌手の熱演もすばらしかった。
オーケストラから聴こえる、曇った重みの音にハッとした。日本のオケの音だと、ワーグナーの場合、いつも明るすぎるように聞こえて、「ワーグナーの楽劇って、ほんとうはもっと、陰気っぽい音が合うんじゃないかな」と思っていた。
ワルキューレでは女性歌手陣がそれぞれ色の違う華やかな衣装で、出番の寸前で順に登場してきて、それはかっこいい演出で功を奏していた。
でもちょっと気になることもあった。
こういう演奏会形式の場合、オペラでも歌手は楽譜を見ながら歌う。確かに音楽的にはなんら問題はないのだが、ワーグナーは楽劇と言われるぐらい芝居と音楽が融合しているのが特徴。
見ていて歌手がしょっちゅう楽譜に目をやっているのを見て、なんかこちらも視覚的に酔えない。
その点、田辺さんは一切楽譜を用意していないし、出ているときはずっと役になりきっていた。歌わないときでもヴォータンそのものだった。
こういう集中力と演技についつい目を追ってしまい、田辺ヴォータンの周りだけにははっきりと、火の神ローゲの炎が見える。ような気がした。
日本でワーグナーのオペラを地域レベルで根付かせる。これは生半可ではない。日本はなかなかこういうのにはスポンサーがつかないし。
公演監督の田辺さんはきっと誰にも負けない情熱「炎」で邁進しているのだろうな。
H.Phttp://www.tiaa-jp.com/tiaa_opera/index.html

前から私的に思っていたことだけど、ワーグナーって一般には重い、暗い、壮大と捉われているけど、なんかぼくにはすごく「軽く」思えてしまう。
ストーリーも自分で作ったからか、出てくる登場人物は罪の意識もなく、犯罪(殺人・破壊)も背徳(近親愛)も肯定的。底辺にある選民思想は自分中心主義で勝手で、ほんと大人のおとぎ話みたい。それをたいそうにしているだけ。
ヤナーチェクやブリテン「ピーター・グライムズ」とかを最近好んで見るから、特にそう感じる。
ワーグナーって、麻原彰晃が音楽の才能があったならこういう音楽を作るんだろうかとさえ思ってしまう。例えが悪いけど。
それだけ内容は軽く感じるが、音楽はほんとうに魅力的。もう麻薬みたい。この音楽があるから、こんな壮大なおとぎ話も何時間も持つのだろうな。
今、日本でワーグナーを聴くならば、指揮者は飯守泰次郎さん、歌手は田辺とおるさんと池田香織さんかな、ぼくにはやっぱり。前は木村俊光さんが好きだったけど。

会場で配られているチラシを休憩時間に見た。
おお、江東オペラでロッシーニの「セビリアの理髪師」のロジーナ役、日向由子さんの名があるではないか。(写真2枚目)
日本でロッシーニを聴くなら日向さんだな、やっぱり。
でも、でも、公演日が11月1日だって。なんて運がない。その日は牧伸二会長と新潟の鉢へ行く日だよ。
ここのところ、いつもは暇なのに、重なるときはほんと重なる。10月9日も二期会公演と重なって、落語の「遊吉の会」も群馬交響楽団もお誘いがあったのに行けなかったしな。

家に帰って、ニュースで加藤和彦さんの自殺を知った。
これはぼくたちの世代以上の人にはかなりのショック。
自身の作曲「帰って来たヨッパライ」じゃないけれど、「なんで死んじまっただ」(下記がその歌)
http://www.youtube.com/watch?v=6-O24msoOac
 
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