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 投稿者:小松菜を食べよう  投稿日:2011年12月 6日(火)23時49分51秒
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  「信頼できるひとが周りにいれば、愛じゃなくても満たされるということです」というのは本当にそうでしょうか。私にはまだよくわかりません。

社会欲の中の一つのが愛とかいうものということでしょうか。

私も、「仲間」が欲しいと思うことがあります。それは職場でもいいし趣味の集まりでも良いのですが、確かにそれはそれで自分の居場所と感じるととても安心します。

「愛」っていうのが何かって話もありますが、私がここで思う愛は、恋人や夫婦や家族みたいなものをです。

信頼できる「仲間」がいるとしても、家族の「愛」を上回るようには今は思えないのです。

それとも「信頼できるひと」に対する信頼感が、私が思うそれとは違っているのかな。

愛の変わりに、その隙間を埋めるものはたくさんあるということは理解します。

ただ、愛じゃないとだめだと言う部分がどうしても残る気がしています。
 
    (長谷川一成) (2011-12-08T22:08:58+09:00)
 「愛」というものが――ここでは「愛情」とか「やさしさ」「思いやり」みたいな意味で使ってますが――一時的で刹那的な状態であるというのなら同意できますが、恋人みたいな一定期間にまたがった人間関係であると、同意するのが難しいですね。恋人や家族が害をなすことだってたくさんありますから。「理想的な家族」って意味なら同意できなくもないですが、理想的って言葉はどちらかというと否定的ニュアンスを含みますし。

 素晴らしい時間はいつまでも続いて欲しいですが、さりとていつまでも続くことはないというのは科学的にも歴史的にも、はては宗教的にも明らかなわけで、それは、私にとって、イマイチな本を読んでいる平常状態と、近年稀に見る傑作との出会いとほとんど同じです。「この作者に一生ついてくわ!」ってテンションまで。

 「愛じゃないと駄目だという部分がある」というのは、おそらくはその通りだと思います。しかし、どのような愛であれ駄目だという部分が人間にはあるとも思うんです。つまりは、満足する瞬間というのはあったとしても、そのうち物足りなくなるのが人間だと私は思うわけです。なんとも業の深いことです。

 そういう気分が深刻になると人間が嫌いになったり厭世的になったりもしますが、まあ、一方でそういう気分もいつまでも続きません。
 
 
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