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浅井氏・日本破産??

 投稿者:yoshi  投稿日:2016年 9月12日(月)08時20分11秒
  浅井隆氏の著作に「すさまじい時代(上)(下)」がある。出版社は、「(㈱)第二海援隊」~これは、著者の会社。
お馴染みの「アマゾン・本」に掲載されているカスタマーレビューによると、
この本は、21世紀の「ノストラダムスの大予言」・・ 投稿者  TOKYO BOY  2016/1/18
「この本は、21世紀の「ノストラダムスの大予言」であり、経済の本ではありません。
具体的には、上巻に続いて、意味不明の「国家破産の危険」を煽って、筆者の国家破産の対策の会に誘いいれて、儲けようとしている営業向けの本です!」 と厳しく書かれている。
しかも、レビューがこの1件しかないので、なんとも言いようがないが、ただ今読み進め中の私としては、日本国の経済状況、特に「借金まみれ」の状況を見るに付け、本書のような見方も参考に知っていて良いのではないかと思う。下巻、第五章の「文明八〇〇年周期の衝撃」などは内容の精査が必要だが、関心は湧いてくる。
本書に対し、さらに読者のカスタマーレビューが慶されることを期待すら。
 
 

伊藤さんの名司会

 投稿者:せーやん  投稿日:2016年 9月11日(日)21時32分39秒
   yoshiさんから、ひとまず休会された伊藤さんからの我々へのメッセ-ジを、ご披露いただきましたが、畑田コミセンでの演奏会のYouTubeで、改めて感謝をいたします。再入会を心から願っております。

   https://www.youtube.com/watch?v=tIA3ZU6rey0

 

2016夏懇親会

 投稿者:せーやん  投稿日:2016年 8月29日(月)00時51分14秒
  今年は暑さに負けず、茨木パソコンクラブ会員相互の親睦を深めるための懇親会を、メロード吹田38Fの「だい一楼」で行った。西尾住宅やアサヒビール工場の見学については、他の会員諸氏の報告を待つとして、一先ず38Fからの眺望をスライドにしました。ご笑覧ください。

http://www.hcn.zaq.ne.jp/caexb307/konsin/index.html

 

リオオリンピック・三題噺

 投稿者:yoshi  投稿日:2016年 8月15日(月)23時47分26秒
  【平和の祭典】
 ~ 難民選手団・・難民となり母国から出場ができない選手で構成された複数地域の混合チームである。  「初の難民選手団が現れ、どこから参加しても成功できるのだということを世界に証明するだろう」(米バ ラク・オバマ大統領)。

【 柔 】
 ~ 嘉納治五郎・・柔道家・教育家でもある嘉納治五郎は柔道の総本山「講道館」を興した。
 1909年(明治42年)には東洋初のIOC(国際オリンピック委員会)委員となる。1911年(明治44年)に大
 日本体育協会(現・日本体育協会)を設立してその会長となる。1912年(大正元年)、日本が初参加した ストックホルムオリンピックへ団長として参加した。
 ~ 幻のオリンピック・・嘉納治五郎は、1936年(昭和11年)のIOC総会で、1940年(昭和15年)の東京 オリンピック招致に成功したが、後に戦争の激化により返上している。

【ピンポン外交】
 ~ 荻村 伊智朗・・日本の卓球選手。第3代国際卓球連盟会長。
 1953年に全日本選手権 男子シングルスで優勝すると、1954年のイギリスウェンブリー及び1956年の東京 で行われた世界卓球選手権で優勝。引退後、中国やスウェーデンへの指導など国際的な卓球普及に努めた。
 後に日本卓球協会常任理事となり、後藤鉀二会長と共に1970年に訪中。周恩来とも会談し、1971年の世界 卓球選手権名古屋大会への中国復帰に尽力した。
 1987年に第3代国際卓球連盟会長に就任。1991年に開催された第41回世界卓球選手権千葉大会では、同会 長として、大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国による統一コリアチームの出場を実現させた。(日本オリン ピック委員会国際委員長としては1998年の長野冬季オリンピック招致に尽力した。)
      (ウイーキペディ アなど参照した。)
 

弁天さんの花火2016

 投稿者:せーやん  投稿日:2016年 8月 9日(火)21時17分23秒
  パソコンクラブHPトップにM・Kさんの素晴らしい弁天復活花火の写真が掲載されましたが、小生の下手くそな写真で恐縮ですが、スライドにしました。松沢池越に見たものです。視点が変われば花火も、、と云いたいところですが、それにしてもまずい写真で申し訳ありません。

http://www.hcn.zaq.ne.jp/caexb307/hanabi/index.html
 

暑中お見舞い申し上げます

 投稿者:せーやん  投稿日:2016年 7月23日(土)15時04分11秒
   永六輔に続いて、大橋巨泉も亡くなりましたね。暑い夏は、老体にこたえます。

Oさんの素晴らしい「米作り」のプレゼン作品拝見の後で気が引けますが。少しでも涼しくなればの思いで、久しぶりに作ったスライドショウです。

    http://itusei.at.webry.info/201607/article_6.html


  元気に暑い夏を、乗り切りましょう!


 

「六八」 or 「六八九」

 投稿者:yoshi  投稿日:2016年 7月17日(日)20時40分49秒
  作詞家・永六輔さんが、83歳で生涯を閉じた。
「こんにちは赤ちゃん」(梓みちよ)は、中村八大とのコンビによる名曲、そして、「上を向いて歩こう 」(坂本九)は、坂本九を加えたトリオによる曲で、世界に響き渡った。なお、「明日があるさ」・「見上げてごらん夜の星を」・「ともだち」・「レットキス」・「太陽と土と水を」のような坂本九と中村八大・永六輔どちらかの片方の組み合わせによる楽曲は多々ある。
 マルチ、反骨の人 最後まで現役 ~底流には文化への深い愛情と、権力を誇示する者への嫌悪があった。
 次女でフリーアナウンサーの麻理さん ~「最期は自宅で 皆で一緒に過ごせた。母が亡くなってから14年間頑張ったが、七夕の日に母に会いに行っちゃった。」としみじみと話した。「生涯現役だったと言っても過言ではないと思えるのがうれしい」

毎日新聞2016年5月9日 最終更新19時45分
 TBSラジオで毎週月曜に放送、「六輔七転八倒九十分」が6月27日で終了することが、9日の番組内で発表された。これに際して、永六輔さんが寄せた手紙の主な内容は次の通り。
          記
 本年2月より「六輔七転八倒九十分」をお休みさせていただいていて、リスナーの皆様はじめ、関係者の方々には大変ご迷惑をおかけしてる。 昨年の秋ごろから背中の痛みが強くなり、その痛みは寝起きする時など、体を動かす時に特に強く現れていた。病院で検査を受けていたところ、一昨年の圧迫骨折とは別のところに、脊柱の損傷が生じ、神経を圧迫していることが分かった。そのために2月1日に問題の部位の上下の脊椎骨をブリッジで固定する手術を受け、これがうまくいったおかげで、体を動かす時の痛みがほとんどなくなり、心身の負担は大きく減った。その後、患部のさらなる処置を受けている間に、不幸にも誤嚥による肺炎を起こしてしまった。その肺炎も約2週間の期間を経て、今は完治した。ただ、この間は絶食を余儀なくされたために体力が落ちてしまい、話をすることも難しい状態です。
 すでに退院し、今後は自宅療養にて体力回復に務める所存。リスナーの皆様に再度声をお届けしたいと思っており、日々努力しているが、パーキンソン病ということもあり、十分な体力回復にどのくらいかかるかはまだめどがついていない。
  ここは一旦、自分の名前の付いた番組については締めくくりをさせていただいた上で、ぜひまたお耳にかかる機会を得たいと考えている次第です。  (以上)
 

ブログURL

 投稿者:せーやん  投稿日:2016年 7月13日(水)18時47分51秒
   旧ブログの書き込みできなくなり、以下のURLで再スタートしました。何卒よろしくご高覧ご支援のほどお願いいたします。

   http://itusei.at.webry.info/




 

京都「祇園さん」

 投稿者:yoshi  投稿日:2016年 7月 6日(水)11時13分21秒
  祭の概略

八坂神社の祭で、毎年7月1日(吉符入)から31日(疫神社夏越祭)まで、1ヶ月にわたっておこなわれる。

 今からおよそ1100年前の清和天皇の貞観11年(869)に、京洛に疫病が流行し、庶民の間に病人、死人が多数出た。 これは、牛頭天王(素盞鳴命ともいわれている。)のたたりであるとし、そのご機嫌をとるため神をまつり、衹園社(八坂神社の前身で、祭神は素盞鳴命)を信仰し、病魔退散を祈願したという。

 その後、衹園社の興隆とともに、"衹園御霊会"とよばれ、・・・また、はじめのころは、疫病流行の時だけ不定期に行われたが、円融天皇の天禄元年(970)からは、毎年6月14日におこなわれるようになった。

 応仁、文明の乱に京都は焼野原と化して折角の衹園会の興隆に一頓挫をきたしたが、大乱の約30年程のち、明応9年(1500)6月には再び山鉾26基が巡行したと伝えられている。
 町衆の信仰と勢力は次第に大きくなり、天文2年(1533)一向一揆に際して室町幕府は神事停止を命じたが、"神事無之共、山鉾渡し度し"と申し出るほど町衆の山鉾存続への熱意が高まっていった。 
 桃山時代から江戸時代にかけて貿易がおこり、町衆階級が勃興して舶来のゴブラン織や西陣織などが競って用いられるようになって、鉾が今のような形になり、豪華な飾りをつけるようになった。

 巡行に当たり、四条河原町で「くじ改め」が行われるのはおなじみ。その「くじ」は、7月2日の「くじ取式」において決められている。

* 後祭(あとまつり)巡行 *
   7月24日 ~  午前9時30分 烏丸御池出発。10基の山鉾。 烏丸御池  → 四条烏丸
 古来、7月24日に行われていたものが、昭和41年(1966年)から前祭の山鉾に続いて17日に巡行してきた。平成26年(2014年)より、再度、24日に巡行することになったもので、千年以上にわたって継承されてきた前祭・後祭の習わしを、後世に正しく伝えていくためである。  (京都市観光協会・KBS京都・・などから借用しました。)  
 

ブログの個展を紹介します

 投稿者:yoshi  投稿日:2016年 6月20日(月)11時14分20秒
  「絵を描き出して10余年。昔はそんな時間がなかった。水墨画を始めたら、『スケッチをもとに描く』ようにと先生の助言。スケッチは独学で、やっているうちに色をつけたくなり、自分なりの水彩画になった。面白いではありませんか?  ずっと楽しんで描いています。(中略)
在庫が相当数ありますので、少しずつ<ブログ>で発表していきたいと思っています。題して<自画100選>。  楽しんでください。   (2006年5月12日)』
こんなあいさつ文で始まる「小さい小さな・・個展」を紹介します。
画家は、某「グループホーム」(自称)でお付き合いいただいている右田さんです。
http://blogs.yahoo.co.jp/tmjxb504/GALLERY/gallery.html
近作は、余部鉄橋、出石の辰鼓楼です。 ご興味がおありの方は、覗いてあげてください。
 

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