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なつかしい

 投稿者:いつかはひくぞう  投稿日:2014年 6月24日(火)19時12分45秒 58-191-229-243f1.hyg1.eonet.ne.jp
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  久しぶりに投稿します。汐見橋線、なつかしいです。私は、中高大と南海本線で通学していまして、岸里駅は毎日くぐって?おりました。中学は天下茶屋線で天王寺駅へ。当然、天下茶屋の検車区と工場は地上にあったころです。工場の外に廃車解体を待つ?妻面5枚窓のたまご電車がいましたねェ。例の北丹鉄道に身売りされた彼女の仲間です。当の汐見橋線の記憶は、岸里と汐見橋間を1250の2連だったのと、その後1200、その後に20m車の2051の両運改造の単行でしたか…。いや忘れました。どこかに写真が残っているはずなんで探しときます。いや思い出した、汐見橋線は1000系か1300系だったかな?あの狭いドアの鋼体化車です。台車はブリルを履いていたと思います。そうそう南海ですので、まだ凸電の牽く貨物列車の小編成がありましたね。本線でもまだ貨物列車が走っていた頃です。和歌山経由で帝国車両製のピカピカ新車の7000が電機に挟まれて当時あった堺駅の大きな貨物ヤードに留置されていたときは、通勤通学の人々が「おおっ」と見とれていました。南海の近代化は7000からでしょう?高野線の6000かな?7000のミンデン台車はかっこいいですね。2000系のKS33の無骨な感じと比較しましたから。でも今ではKS33が懐かしい。そんなとこでまたお邪魔します。  
    (管理人@YANチョ) お返事が大変遅れて申し訳御座いませんでした。
何せ超ローカルなサイトなもので,まさか御覧頂いてる方がいらしたとは・・・(汗)。
それにしてもよく覚えて頂けました。コメントまで頂いて感謝感激です!

天下茶屋と天王寺が繋がっていた頃だと,未だ南海全盛の頃ですね。
私が知ってる汐見橋線の車輌といえば,1521系からになりますので
いつかはひくぞうさんの方が,より懐かしい南海時代を御存知かと。

緑色のデキ風の機関車やキハ5500の ”きのくに号”。
初代1000系の淡路号など,昭和30~40年代はまさに黄金期だったと思います。
関西私鉄では1番歴史のある会社ですから,これからも色々と探って行きたいです。
 
 
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